明星院は広島市の東北に位置し、二葉の里の北端に在り、背景には緑翆したたる二葉山を負い、前には太田川の清流を臨み、境内およそ二千二百五十余坪、古松老木鬱蒼として繁茂し、森々として自ら荘厳の風趣を有する。
もとは南光月素月山妙壽寺(臨済宗)と呼ばれ、毛利輝元の生母、妙寿院の位牌所でしたが毛利氏の長州移封後、福島正則により真言宗・明星院と改めました。
福島正則が移封となり浅野長晟が入城、四代藩主浅野綱長により始祖浅野長政夫妻の位牌を安置。また、九代藩主浅野斉粛の代に敷地の西半分に社(饒津神社)を建立しました。
本堂内陣には原爆の被害から焼失を免れた赤穂浪士の木像が安置されています。
木像は吉良邸の討ち入りを再現し、右側・大石良雄以下二十三名の表門隊、左側・大石良金以下二十四名の裏門隊にわけられて祀られています。
明星院は広島新四国八十八ヶ所霊場六十二番霊場及び中国地蔵尊霊場第十一番札所に指定されています。
被爆樹木
爆心地から1,780m離れている明星院の広い境内には、樹高10m、幹周3.00mのイチョウ、樹高3.5mのソテツ、樹高9.0m、幹周2.25のクロマツの被爆樹木があります。本来は、今の3倍ほどの樹高があったイチョウですが、幹が腐ってしまい、現在の高さに伐採されました。ソテツは、1株から19本ほどもの幹が育ち、被爆樹木とは思えないほどの風格を備えています。傾きながらもしっかりと育っているクロマツは、亀甲状の幹から、樹齢の長さを感じることができます。